ヨガのある生活で、毎日を心地よく。
心もカラダもハートフルになれる手のひらメディア。

ヨガレッスンに通っているうちに、「ヨガの教えでは…」と哲学的な考え方を耳にすることはありませんか?ヨガはカラダを動かすだけのものではなく、心の働きを定め、幸せになるための哲学が起源となっています。

この連載では、ヨガの哲学の中でもヨーガスートラの八支則についてひとつずつ解説していきます。

努力せずに集中をしている状態「ディアーナ」

前回ご紹介した、【連載】ヨガの八支則ってなあに?⑥心に一つの仕事を与える「ダーラナ」の教えでお伝えしたように、「ダーラナ」は『努力のいる集中』とするならば、「ディアーナ」とは『瞑想』と訳され、努力のいらない集中のことを指します。

実は私はこの段階に行けたことがまだまだ少ないと思っていて話すことに戸惑いがありますが、今回は私が初めて瞑想で体験したことをお伝えしたいと思います。

インドのアシュラムで体験したこと

私が初めて「ディアーナ」の状態になったのは、アシュラムと呼ばれる滞在型のヨガの学び舎においてでした。

朝晩の決まった時間に必ず1時間の瞑想の時間がとられており、瞑想の前にはヨガの実践とプラーナヤーマを行うことになっていました。

最初のうちは1時間座ることは容易なことではありません。

カラダの至る部分に気が散って、心に浮かぶ物事に呼吸が乱れて大変でした。しかし、毎日規則正しく瞑想の練習を積み重ねていたところ、1時間快適に座り、呼吸に集中することができるようになりました。

さらにある日、いつものようにカラダや呼吸へ意識を向けて集中を保っていたら、いつの間にかカラダも呼吸も気にしなくなり、ただそこに「座る」ことだけに没頭するようになりました。

カラダがある、呼吸をしているということにすら気が付いていませんでした。

ただあるがままそこにいて、瞑想の終了を知らせる声掛けを聴いた時にとても驚いたのです。

「まだ、10分くらいしかたっていないのではないか?」と思いました。しかし実際にはすでに1時間が過ぎていたのですね。とても妙な気分でした。

これがいわゆる「瞑想状態」というものなのか。と、初めてその時に実感しました。

「ダーラナ」は集中が途切れたことに気が付いて、また心を意識的に今に戻す「努力のいる集中」であり、「ディアーナ」はすでにその集中が意識しなくても継続できるようになっている「努力のいらない集中」です。

瞑想をやったりやらなかったり、という練習の仕方では、なかなか身につかないのですね。

特に最初のうちは毎日、同じ時間「座る」ことが大切です。

その積み重ねの中で徐々に「そうなっている」という時間に気が付いていくのです。ディアーナは「しよう」と思ってもできず、「ダーラナ」を続けていく中で自然と訪れるものなのでしょう。

ただ座る時間を、日常生活の一部にすればいい

ただ座り、今に専念する時間をきちんととり続けることが、ディアーナへの唯一の道であると思います。
また長い間続けていれば、ディアーナに到達するまでにかかる時間が短くなります。

私の瞑想の先生方はいつでも、どこでも瞑想をすることができます。

たとえ満員電車の中でさえ、すっと集中に入り、周りの環境に乱されません。瞑想に至る道筋を何度も辿っているからこそ、必要な時にその状態になれるのですね。

瞑想に近道はなく、毎日の実践あるのみです。

皆さんも一日の中で座る時間を守ることを、始めてみませんか?

心は座らないでいい理由を見つけるのが得意です。自分の一日の時間の使い方に規律を持ってみましょう。

座る時間をとり続けていたら、いつの間にか座ることが特別なことではなく、歯磨きや洗顔と同じように当たり前のことになっているでしょう。「しなければ」から自然と「そう」なるまで続けていきたいですね。

ダウンロードはこちらから

この記事を書いた人