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日本でもヨガを実践することが一般的になってきた今、ヨガのエクササイズ的な要素以外である、心や思考に作用する“ヨガの教え”に興味を持つ方も増えています。

この連載では、ヨガの教え=ヨガ哲学を体系的に学べる『ヨーガスートラ』を、ヨガインストラクター養成校の講師・インストラクターたちが解説していきます。

本当の自分とは?

今まで見てきたヨーガスートラの1章ではヨガのゴールについて示されています。ヨガとは、心の反応を収めること。

自分自身と心を混同せず、心に振り回されることのない強さを育むこと。それがヨガの練習です。

では、心ではない自分自身とは何なのでしょうか?
今回は【本当の自分】について触れた1文をみていきます。

■ヨーガスートラ第1章-36節

ヴィショーカー ヴァー ジョーティシュ マタィー
心の本質である意識の源、悲しみから自由な存在である本当の自分自身を知ることでも、(穏やかな心、冴えた知性でいることができます。)
※ヨーガスートラ(やさしく学ぶYOGA哲学 ヨーガスートラ参照)

幸せには限界がある

ヨガの教えでは、わたしたちの苦しみの根本的な原因は無知にあるとされています。

無知とは知らないこと。

いったい何を知らないことが苦しみを生むのでしょうか?答えは【自分】について知らないこと。ヨガでいう本当の自分とは、何も欠けていない、満ち足りた存在だといいます。

でもそれを知らないから、何かが足りない、何かが欠けていると思い込み、苦しみに囚われてしまう。

では、その【何か】を手に入れたら、わたしたちは幸せになれるのでしょうか?

最近わたしが経験した出来事をお話します。

時間と共に移ろう物

先日、押し入れの中から箱を見つけました。開けてみると、ある高級ブランドのバックが入っていました。

20代だったわたしは、そのバックがとてもとても欲しくて、アルバイト代を貯めて買ったのです。

買ったばかりの時はとても満たされて幸せな気分でしたが、しばらくすると他のバックが欲しくなり、そのうちにブランド物自体に興味が無くなって、そのバックは長い間押し入れの中で眠っていたのです。

あんなに素敵だと思っていたバックは、今の私を満たしてくれるものではなくなっていました。

欲しいものを手に入れたとしても、また他の物が欲しくなり、完全に満足することはない。

そして、その物自体が変わりやすい。

自分以外の物や人に依存した幸せには限界があります。すでに自分が満ち足りている、と知ることで、はじめて心は穏やかでいることができるといいます。

探すのをやめた時に見つかる幸せ

わたしたちは、何も欠けていない、満ち足りた存在。悲しみから自由な存在。

これを完全に理解することは、今のわたしにはまだ難しいですが、心がつらいなぁと感じているとき、このことを思い出すと、肩の力がふっと抜け、周りの景色が広がるような気がします。

季節の変化の美しさを感じられること、食事をおいしく食べられること、身近な人からの思いやり、普段当たり前のように思っている幸せに気づくことができます。

探し物をしている時は見つからないのに、探すのをやめた時にひょっこり見つかったりするものです。

わたしたちは幸せになりたくて、何かになろうとか、何かを手に入れようとするけれど、その必要はなく、自分が幸せだ、と気づいたときが幸せのはじまりなのではないでしょうか。

わたしたちはすでに満ち足りた存在なのだから。

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