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日本でもヨガを実践することが一般的になってきた今、ヨガのエクササイズ的な要素以外である、心や思考に作用する“ヨガの教え”に興味を持つ方も増えています。

この連載では、ヨガの教え=ヨガ哲学を体系的に学べる『ヨーガスートラ』を、ヨガインストラクター養成校の講師・インストラクターたちがリレー形式で解説していきます。

「見えた」状況に心が揺れることありませんか?

第4回では、第1章15節から『執着心を手放す勇気』について語られました。
今回は『劣等感や嫉妬心を手放すことで、心を穏やかにすること』について書かれた文章をみていきます。

第1章33節:マイトリー カルナー ムディタ ウペークシャナーン スカ・ドゥッカプンニャ・アプンニャ ヴィシャヤーナーン バーヴァナータハ チッタ・プラサーダナン
(他の幸福を喜び(慈)不幸を憐れみ(悲)、他の有徳を欣び(喜)不徳を捨てる(捨)態度を培うことによって、心は乱れなき静澄を保つ)

出典元:ヨーガスートラ

私たちは日々生きていく中で、何かしらの行動をし、出会い、感じ、思考するということを繰り返しています。

特に情報に溢れた現代では、実際に会ったことがなくてもオンライン上でさまざまな人や場面に出会っています。

その便利さは良いことでもありますが、一方で辛さや疲れを感じたことが誰しもあるのではないでしょうか?

幸福な人を羨んだり、不幸を喜んでしまったり、徳の高い、人格的に優れている人と比べて自分を貶(おとし)めたり、不徳(邪ま)な人、例えば悪口を言う人を蔑んだり…。

でも出会った人や場面、状況がそう「見えた」だけで、本当に「幸福か、不幸なのか、また有徳なのか不徳なのか」は本人にしか分かりません。

想像で比べる度に自分の心が揺れ動けば、疲れてしまいますね。

今、私が「見聞き」したことは真実か

私は20代後半までいわゆる営業職をしていました。それなりに忙しく、終電ギリギリで帰宅し翌日は早朝出勤という毎日でした。

その日も早朝から満員電車に乗り込み、何とか確保したスペースで一息ついていたとき、ふと、ある人が目に留まりました。

その人は平日だというのにカジュアルな服装で、どうやらどこかに遊びに行く様子です。パッと見た感じでは私と年齢は変わらないように見えます。

「私はこんなに辛い思いをしながら会社に向かっているのに、同じような年齢に見えるこの人は平日なのに楽しそう。いいな、ずるいなあ」

そのときは気づかなかったのですが、今考えると自由な服装のお仕事か、あるいは平日がお休みだったのだのかもしれません。
当時はスーツやきちんとした服装でなくても構わない職業があると分かっていながら、想像がつかなかったのです。

その後、私もヨガ講師へ転職したことで、そういった働き方にも目がいくようになり、やっと理解したのでした。

このように、人は自分の人生経験の中でしか想像できないことも多いのではと思います。だからこそ想像で相手の状況を決めて、心を揺らしても自分が苦しいだけですよね。

心の平穏を保つ“心の在り方”を継続して実践

でも人と比べることは意味がないと言われても、一瞬で心は動いてしまいます。
幸せに見える人を羨む気持ちも一瞬の感情ですから、止めることは困難です。
もし比べて心が揺れそうになったら、自分を責めるのではなく、どう対処すればよいかが今回の一節には書かれています。

幸福な人に出会ったら、友愛の心を持つこと
不幸な人に出会ったら、慈悲深くあること
徳の高い人に出会ったら、見習うこと
不徳な人に出会ったら、距離を保つこと
※友愛=兄弟間や友人に対する親しみの情

幸福な人、不幸な人、徳の高い人、不徳(邪ま)な人に出会ったときに、自分の心の在り方によって、私たちは心を平穏に保つことができます。

ここでは、他者と自分を比べることが悪いのではなく、比べた結果自分の心を苦しめてしまう感情を手放すこと教えてくれていると私は考えます。

第1回で語られた『ヨガは心の動きを収めるもの』とは、心の動きを収めた結果、幸せになるのは自分自身です。

ヨガに興味がある方もない方も、まずはこの1章33節の教えを「継続して実践する」ことから取り入れてみてはいかがでしょうか。

日々何かを繰り返し実践することで成長できることは、第3回でも語られていました。最初は継続することが難しそうに思えるかもしれませんが、少しずつ自分のものになっていきます。

劣等感や嫉妬心を手放した先に、日常生活の中に自分自身の心の穏やかさを手に入れることができるかもしれません。

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